好きに失敗させてくれ
バカデカい憎悪
最近X(twitter)上で、あたしが自分で立ち上げた陰核派のネガキャンを繰り返している。我ながら十分に客観的なマイナス評価ができていると思う。しかしこれは、だから陰核派を辞めたいとか、辞めるとかそういうことではないのだ。あたしの言いたいことはむしろ、「好きに失敗させてくれ」ということだ。
つまるところ、これまでのあたしの人生には「失敗」が深刻に欠如している。それは私がプチブルお嬢だからで、「失敗」する前に誰かが代わりにやってくれたし、それで基本的には困らなかった(ただし、就職までは)。それは幸福なことであり、また不幸なことでもある。
現代では「失敗しない」ことはとても簡単で、どこもかしこも教科書だらけ。標識に信号、角が丸いテーブル、駅のホームドア、タバコの発がん性注意表示、など町の至る所にある。そして、困ったらなんでも代わりにやってくれる優秀なパパがいる。こいつらはあたしの人生の根本的なつまらなさの要因でもあったわけだ。
そして、あたしは何もできない人間になった。だから就職をサボってこの界隈に逃げ出してきた。それは主体性を求められる就職活動からの逃避でもあったし、別の面ではあたしの絞り出したカスの主体性の発露でもあった。はっきりいえば、こんな界隈をほっつき歩いている時点であたしの人生はすでに「大失敗」なんだ。
このところ、陰核派に対してさまざまアドバイスを頂戴するし、結構な割合で「どうせ失敗するのだからさっさと辞めろ」という意見まで頂ける。誠に構ってくれてありがたい限りだが、どうせ失敗すると思うなら放っておけばいいじゃないか。いちいち文句をつけてくるのは愛ゆえか。愛ゆえなのか。だとしたら、その愛はあたしを救わない。あたしはそんな鬱陶しい世間の「愛」から逃げてきたのだから。
家父長制の至高の役割は、若い女をイラつかせることにあると思う。あたしはすべてのプチブルお嬢を代表して、「派手に失敗」する使命を負っている。陰核派の思想などひとまずはそれで十分じゃないか。それはフェミニズムじゃないのか。これを私がはっきり説明してこなかったのが悪いことは認めるけれども。お前たちが机の上で論じたり叩いたりするフェミニズムなんてものは、、、それはまあ、また今度、じっくり聞かせてくれ。
学対にムカつくところは多々ある。多々あるが、私にちゃんと「失敗」させてくれるところにはとても感謝している。ただ、自分の失敗したい分までこちらの責任を負わせようとするのは勘弁してほしい。50過ぎのおぢのおしめまで変える気はない。それなので、「駅前アジト」に関しては、学対も連名で主催してもらった。こっちもいろいろ考えて対策してはいるというわけだ。
そしてアドバイスをくれる諸君。あたしはお前たち諸共巻き込んで「盛大に失敗」させてもらうつもりだ。気をつけろ。あまりいいアドバイスをくれると、あたしがホイホイそれに従って、それで「失敗」したら、お前たちに名指しで責任をなすりつけるかもしれない。なにせ、あたしは無責任なプチブルお嬢だからな。一緒に自爆する気のないやつはアドバイスしないほうがいい。
あたしは一緒に派手に自爆する気概のあるやつを歓迎する。みんなで地獄に行こう。陰核派はお前たちのためにある。可能ならアイデアを出したとき、言い出しっぺの責任くらいは取ってほしいけど。学対は自分で言ったことは実働までやるから偉い。
最初はおふざけだった陰核派だけど、やっぱり続けてると愛着は湧いてくるもので、あたしは陰核派が好きになってしまった。だからたったひとつだけ、絶対に聞かないアドバイスがある。それは「どうせ失敗するのだからさっさと辞めろ」ってやつだ。そもそもここまで何度も言ってきた通り、「失敗」は陰核派のイデオロギーなんだし。
ぶっちゃけて言えば、そんなに失敗しないだろうとも思っている。所詮あたしは器用なプチブルお嬢である。もとい、器用貧乏なプチブルお嬢である。たぶん、「大失敗」を「小失敗」に収めることには長けている。「失敗することに失敗」してしまうかもしれない。だいたい、「失敗するぞ」と言って予防線を張っているあたりがダサい。要するに、慣れてないんだあたしは。
下に貼った手紙は陰核派で出したゴミ冊子『銃後』に挟んだやつだ。ホムペで公開するのを忘れていた。内容はほとんど同じなので別に読まなくていい。あのときあまりにイラついてたんで、書いちゃいけないことまで書いちゃった気がする。これも「実存主義」だと思って勘弁してくれ。
あたしはあたしの陰核に従って行動する。なので、何をしでかすかわからない。「クリトリスはアナーキスト」ってやつだ。だからあまり近づかないほうがいい。敵としても味方としても、関わることはまったくお勧めしない。以上。
死刑モラトリアム
親愛なる恩師へ
頂いたご指摘のとおり、たしかに私は強いられてここにいます。
もともと陰核派は、私が大学を卒業して生活のために働かなければならなくなる傍らで、それでも若い子たちの運動シーンを盛り上げるには何ができるか考えた末の結論でした。
それが初期構想である「活動家後援団体」としての陰核派です。具体的には、私が作った新聞『陰進』上に、やる気のある学生や活動家に文章を掲載する機会を与え、その報酬を支払うというもの。お金にならないうちは働いて身銭を切れば良いというわけです。
しかし、メンバーや周囲の大人が求めるものは違った。私に新しい活動を主導する人物としての役割を求めてきます。「前衛党路線」とでも言いましょうか。少なくとも私のような「受動的」な人間に主導できるとはとても思えなかったし、やりたいことでもありませんでした。私には情熱も行動力も、実現すべき理想も世界観、そして若さもない。ですから、誰か他に代わりがいるなら、代わってほしいくらいです。
「活動家後援路線」を目指してきた陰核派に、これまで思想がなかったのは当然のことです。初志貫徹か、求められている役割を遂行するのか。私に期待する彼らに「だったらお前が何か始めろよ」と突き放すこともできます。
この界隈には、参謀もどきやパトロン、さらには批判ばかりで活動を盛り下げるだけの党内左派気取りがたくさんいます。「オレはヒトラーってよりゲッベルス寄りかな」、「何かやるなら協力します」、「これをやったらいいんじゃないか」などなど。聞き飽きたセリフです。私もそうでした。界隈の人々が陰核派に過剰に注目しているのも、他にやる人がいないからでしょう。優秀な人はたくさんいますが、責任を取る人がいない。
向いていると向いていないとに関わらず、「活動」をやりたいならば、いずれは自ら舵を取り、主導する役割を負わなければなりません。ヒトラーはダサいし貧乏くじです。私もたった半年でさえ沢山バカにされました。でも、勘違いしてほしくないのは、私が「強いられて」、「受動的」にここにいるからといって、活動が楽しくないわけじゃないってことです。
私が、学対の見るからに不可能な提案、トークイベントだのデモだの……を受けることにしたのは、彼が「愚行権」と言ったからです。「キャパオーバー」だとか、「ムシがいい」だとかは、単にその結果の事実的水準でしかありません。批判はとてもありがたいですが、所詮、批判は批判です。
私は完成品をただ享受するだけではなく、作る楽しみを今では強く感じています。それは××にいってあなたの妾、あるいは「飯炊き女」になっているだけでは決して手に入れないものです。私は××には行かないことに決めました。私が派手にのたうち回りながらズッコケるところを、遠方から指を咥えて見ていて下さい。
775りすより愛を込めて